イベント報告

<「多文化共生について考える」連続市民講座VOL.1>
〜多文化共生と現代教育〜

 

日時:2008年12月5日(金)12:50〜
   
   第一部 12:50〜14:20 風巻 浩
   第二部 14:30〜16:00 若林 秀樹

場所:宇都宮大学峰キャンパス内 1353教室

    テーマ「多文化共生と現代教育」

⇒チラシ


  田巻センター長あいさつ 田巻センター長あいさつ(要旨):
これから多文化公共圏センター連続市民講座の第一回目を開催したいと思います。 今年の4月に国際学部に多文化公共圏センターが設置されました。センター開設の一つの核は、多文化共生の地域づくりを追求して実践していく拠点となるような位置づけを考えています。またその一方で、「多文化共生」という言葉への検討も必要です。この言葉は、あまり安易に使ってはいけないし、使い方に慎重になる必要があと思われます。しかし、現実には、全国的に「多文化共生の地域づくり」という言葉はあちらこちらで叫ばれています。では、「多文化共生の地域づくり」とはいったいどういうことなのか?その問いも合わせて考えねばならないと思います。

  センターの一つの役目は大学の地域への開放といいますか、地域とのつながりの拠点となることだと思っています。そのために、地域のいろいろなところで活動をされている方に大学に来ていただいて、いろんなテーマで話し合いたいということもありますし、学部や大学院の学生の皆さんが卒業していろいろな地域に行かれた時に、地域でいろんな問題を考える時の知識や実践方法などを予め考える機会を作りたいという思いもあります。
今回、第一回目ということにしましたのは、この市民講座をこれから継続的に開催したいと思っているからです。ぜひ、皆さんも継続的にご参加いただきたく、よろしくお願いします。


  風巻浩先生 風巻 浩 プロフィール:
神奈川県立麻生高等学校教諭、「かながわ開発教育センター」理事
1980年代末から神奈川県内のインドシナ難民定住者の子どもたちと 県立高校生との関わりの場を作る。また、2000年から「川崎富川(プチョン)高校生フォーラ ム・ハナ」の代表として、日本の高校生、朝鮮高校の高校生、韓国 の富川市の高校生との交流、共同学習を指導している。

  講義要旨:
1.「多文化共生」のデフレ現象
 私がベトナム、ラオス、カンボジアなど外国人生徒とボランティアとして関わるようになった当初、取り出し授業など外国人に対する行政支援はなく、せっかく高校に入学しても学校をやめてしまう生徒もいました。それが2000年あたりを境に、突然国家レベルで「多文化共生」という言葉を使い始め、今ではいたるところでこの言葉が氾濫しています。これには、経団連の出した提言(「外国人受け入れ問題に対する提言」(2004年))などが背景にあると思われますが、それによって、この言葉が現場の「痛み」や「怒り」のない無機質な語感になってしまっていないかと危惧しています。在日コリアンの権利獲得の歴史に学びながら、様々な困難に見舞われる外国籍の人たちと「いっしょに」「おろおろ」して行ってきた市民社会の活動を元にしなければ、真の「多文化共生」を創ることはできないと思います。

2.「多民族・多文化共生」を拒むもの
 最近「地球市民・グローバルシチズン」という言葉を耳にしますが、今の日本社会には「地球市民」の前提となる「アジア市民」意識すらあまり感じられません。日本で生活していると、時より「強く主張するもの」を排除するような動きを感じることがあります。例えば、イラク戦争が起きた時に、日本人の若者が人質となりバッシングを浴びたものその例だと思います。外国人に対しても「主張しないもの」に対しては、広く受け入れます。一例を挙げますと、3F(Fashion, Food, Festival)的なイベントであればどんどん受け入れています。しかし、それ以上の権利やアイデンティティを主張すると、それは排除の対象になりがちです。今の日本には、このような精神的枠組み、社会的構造があるのではないでしょうか。

3.マジョリティが変わるためには
 一つあげるとすれば、「教育」の重要性でしょう。小中学校レベルでは、「多民族・多文化共生」科目をいれ込む。高校・大学レベルでは、「多民族・多文化共生」関連の地域ボランティアを積極的に取り入れる。そして最後に教員レベルで「多民族・多文化」の教員を多数採用することです。在日外国人でも教員になれますが、まだ数は多くありません。神奈川県には日系の先生も何名かいらっしゃいますが、教員が外国籍であることは、同じ外国籍生徒のよきロールモデルになりますし、それ自体日本人生徒への「多民族・多文化共生」意識の啓発になると思います。

最後になりますが、KPという在日コリアンのラップグループの歌に「ワンピース(piece/peace)、ツーピース、スリーピース、キセキのカケラをつないで」という歌詞があります。この「キセキ」という言葉は「奇跡」と「軌跡」をかけているわけですが、私たちが歩いてきたそれぞれの小さな「軌跡」と、人が人に出会うという「奇跡」。これらの小さなカケラ(それは「平和」でもある)をつないでゆくことでしか本当の「多民族・多文化共生」は成らないのではないでしょうか。


  若林秀樹先生 若林 秀樹 プロフィール:
小山市立小山城南中学校教諭、宇都宮大学国際学部ポルトガル語非常勤講師 及び、多文化公共圏センター研究員。
平成10年より現在までの10年間、小山市の中学校で外国人児童生徒の教育に携わる。昨年度より宇都宮大学特定重点推進研究「栃木県における外国人児童生徒教育の明日を考える」研究グループメンバーとなる。また、非常勤講師として現在ポルトガル語の講義を担当。

  講義要旨:
1.はじめに
 全国には訳210万人の外国人が生活していますが、その中で約2万2千人くらいの子どもたちが日本語指導を必要としています。 栃木県の教育委員会では県内の外国人が多く在籍している学校に拠点校というものを設置しています。私は小山市にあるその拠点校の一つに勤務し、主に、外国人の子どもたちに日本語を教えたり、生活適応指導をしています。 そんな中で10年ほど外国人生徒教育に携わってきて思うことは、外国人児童生徒教育はまだまだ未開の地だということです。

  2.外国人児童生徒を取り巻く環境
 日本では外国人の子供対して義務教育は適用されません。学校に行かない子どもたちも現実に存在しています。保護者からの希望があれば受け入れるという共通認識がありますが、受け入れ側の学校にそのノウハウが備わっているかといえば、必ずしもそうではありません。前述の拠点校など、日本語教室を設置している学校もありますが、その実態には差があります。 栃木県には日系南米人が多く住んでいます。彼らのほとんどは、労働目的で日本に滞在しています。最初は3〜4年で帰るつもりで来日しますが、様々な理由で滞在年数を延ばす人も少なくありません。その中で、子どもたちは3年後自分がどこにいるのか分からないという、不安定な状況を強いられます。将来の夢を見る余裕さえなくなってしまうのです。  親たちはもともと仕事をしに来たわけですから、日本語を知らなくても仕事に支障が出ない人も少なくありません。しかし、子どもたちは日本の学校へ通い日本語を覚えてきます。問題は子供達が勉強すればするほど、その道しるべとなるべき親たちとの相互理解が図れなくなってしまうことです。  我が子の高校進学についても、ほとんどの保護者にとっては難題です。学校での進路指導の説明を子供達は覚えたての日本語で聞いて来て、自分が理解したように親に説明するわけですから、日本の教育制度が理解されるはずがありません。結局中学3年生の秋を過ぎてから現実的な説明を目の当たりにして泣き崩れる親子を何人も見てきました。ここ数年、各地で外国人生徒や保護者を対象とした高校進学ガイダンスを実施する動きが出てきたのはうれしい限りです。

3.提案@;人材育成
 今年宇都宮大学で、前期ポルトガル語の非常勤講師をやりましたが、学生の熱意を感じました。そこで、ぜひ教育学部で外国人生徒教育に関する授業を設けてほしいと思います。現場の教員には、そのような教育が全くなされていないにもかかわらず、外国人児童生徒数は確実に増加しているのです。
 提案A;UTSUNOMIYA
 私の夢でもありますが、この宇都宮市を外国人が住みやすいと思えるような国際都市にしてみたい。市役所業務や教育の問題を充実させるのはもちろんのこと、例えば、市内の標識をすべて多言語表示にするとか、ポルトガル語を中心にした多言語のFM放送を開局するなど、やれそうなアイディアはたくさんあります。この市民講座を主催している多文化公共圏センターがその一翼を担っていけばいいと思いますが、私もぜひその一端を担いたいと思っています。


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