イベント報告

<「多文化共生について考える」連続市民講座VOL.2>

 

日時:2009年1月23日(金)13:00〜
場所:宇都宮大学国際学部E棟 1353教室   
   
第一部 13:00〜14:20 原田 真理子
   
      「多文化共生時代に生きる子どもたち」
 
―いま教育現場で起こっている様々な外国人児童生徒を取り巻く問題について
  実例を挙げながら問題提起する―
 
第二部 14:30〜15:50 北島 滋

           「国際学の構築に向けて」
           
       ―ワーキング・プアの分析を事例にして−
⇒チラシ    


  田巻センター長あいさつ(要旨):
前回(2008年12月5日)は、高校の先生、中学校の先生に来ていただき、話をしていただきました。今回は第一部で原田真理子先生にお話をしていただきます。原田先生は佐野市の日本語指導員として、小学校の現場で長年外国人児童への日本語指導をされてこられました。そこで本日は小学校の現場を通じて「多文化共生時代に生きる子どもたち」というテーマお話をしていただきます。ここまで高校・中学校・小学校の先生と続きました。第二部では、今年度の「連続市民講座」の最後を飾りまして、国際学部の学部長であり、多文化公共圏センター員でもあります北島 滋先生からお話をいただきたいと思います。


  原田真理子先生 「多文化共生時代に生きる子どもたち」(講演内容から一部抜粋):
原田 真理子(佐野市日本語指導員・宇都宮大学ポルトガル語講師)

  1.労働問題から教育問題へ
日本にいる外国の方というのは、実際に就労目的だけの方もいらっしゃいますが、それが単なる就労目的ではなくなり、日本での生活が長期にわたると永住したいという気持ちが生まれてくる人々も増えて、短期滞在から長期滞在に移行しつつある時代になってきていると思います。共に暮らすということで課題が見えてくると思うんですが、たとえば労働目的で単身で日本に来ていた方々が、単身ではなくて家族を伴ってきた場合にどういうことが起こるのかというと、まず住居の問題があります。単身のときは会社の独身社員寮でもよかったんですけれども、家族を呼び寄せるとまず住居の心配が出てきます。住居は、今のところ人材派遣会社の方々の紹介などで住むところがあって、何とか生活できるようになっています。ただ、家族を呼び寄せるということは子どもさんもいらっしゃるということで、今度はその子どもさんの教育問題に繋がっていくんですね。(中略)外国の方が突然日本の学校に入ってきて言葉がまったく理解できなくて非常にストレスを感じてしまいます。で、そのストレスをどうやってみんなで和らげていくかということが大事で、我々も外国人の子どもたちにとっても、居心地のいい空間みたいなものがあると思うんですね。学校も一つの空間なんですが、その学校という空間のなかで外国人の子どもたちがいかに居心地よく過ごせるかということを、我々受け入れる立場としては考えていかなければならないことなのかなと思いました。

2.外国人学校の必要性
次に外国人学校のことについて触れてみたいと思います。(中略)私がそうだったんですけれども、父親の仕事の関係でいったん海外に出て生活をしました。でも行ったときから私の家族はいずれ日本に戻ってくると分かっていたんですね。そうすると外国に骨を埋めようという気持ちはないので、外国の言葉や文化を学ぶということが非常に大事ではあるんだけれども、それと同時に自分の国の言葉や文化を忘れないようにするということも必要になってくる。海外で、日本人が多く住んでいる地域には日本人学校というものがあります。私が住んでいた地域にもありました。それは、いずれは日本に戻るということを前提として作られた学校だったんですね。で、これをこちら(日本における外国人教育)の問題に置き換えて当てはめてみると、確かに外国の方は増えたけれども、そのすべての方々が永住するわけではない。もしかしたら短期で帰っていくのかもしれないと考えたときに、やはりその国の人たちが自分の国の言葉や文化を大切にして、そういう教育も受けたいという願望があった場合には、そういう学校を認めてもいいのかなと思いました。

3.目に見える外国人、見えない外国人
目に見える外国人というのは、外国から来た方々です。目に見えない外国人というのは、日本の名前で日本人として生活をしているけれども、親が外国人で、自分も外国で育って、日本語が分からない。そういう子どもが学校の現場に増えてきています。その目に見えない外国人に対しても、我々はやはり日本語や日本での生活の仕方を教えていかなければならない。そういう時代に来ています。ですから、時代がどんどん進んでいくなかで、ただ受け入れるだけでは済まされない複雑な問題がこれからも起きてくると考えられます。私たちはそういう人々を「日本人だ」「外国人だ」というボーダーラインを引くのではなくて、今言ったような目に見えない外国人の方々も含めて、一市民として捉えて一緒に共存していこうということをこれからも考えていかなくてはならないのだと思います。


  北島滋 先生 「国際学の構築に向けて」(講演内容から一部抜粋):
北島 滋(宇都宮大学国際学部長 地域社会学)

  1.ワーキング・プア問題と多文化公共圏の関係
 日本のワーキング・プアの問題が多文化公共圏とか国際学の構築とどのように関係してくるのかなということで少し考えて見たいと思います。先ほどの多文化公共圏のアクターが国家間関係、つまりinternational relationsのなかに割り込んでいったという歴史が、この多文化公共圏の形成に繋がっています。そうしますと、いくらNGOやNPOが大きな働きをしたとしても、やっぱりnationは巨大な役割を持っていますので、その意味で言うとstakeholderとしては、こういう多文化公共圏と国家は重要なstakeholderの関係、相互利害関係にあると考えておいたほうがよいのではないかと思います。つまり、多文化公共圏と国家というのは極めて密接な関係にあるんですよということを、前提におきたいと考えています。たとえば私のような商売をしていますと、社会学では、日本というのは多様な国際的な諸関係のなかの交点といいますか、そういうものが交わっている点と位置づけられていますから、日本のワーキング・プア問題は、日本それだけで考えるということは、そもそも多文化公共圏という問題から離れてしまいますよね。したがって、ワーキング・プアの問題は多文化公共圏と重なるような関係にあると言っていいと思います。

  2.学際的連携の必要性
 ワーキング・プア問題の分析を事例として考えていったときに、分析対象を確定していくことだと思うんですね。今はワーキング・プア、働けど働けど貧しい労働者集団と言っておきますけれども、こういう社会現象に対してみんなでアプローチしていくと考えてみると、ワーキング・プアの事象を社会諸科学、人文諸科学、あるいはNGOや政府も含めて協働で分析して、立法行為も含めて、解決策の提案、解決に向けて政府と協議し行動をする。こういうことが一つあります。それから課題設定として、ワーキング・プアの拡大とその問題の社会化あるいは国際化と言ってよいと思いますけれども、そういう形で課題設定もできる。分析のキーワードとしては、先ほども言いましたグローバリゼーションの拡大、多文化公共圏の形成、押し出し国側の産業、労働市場の動向、そして労働力移動、受け入れ国側の労働政策、経済政策、労働市場、経営行動等を課題として設定してみる。そうすると諸科学の固有の分析方法で対象を分析してみるという作業が必要なんですね。(中略)経済学でしたら、グローバリゼーション下の経済動向の分析と受け入れ・押し出し国側の両方の経済政策・産業政策といった多様な要素を分析することはできるのではないかと思うんですね。また、法学の先生には諸外国と日本の入管法の比較分析ですとか、あるいは労働法の現状の比較分析だとか、こういうことを担当していただけると思います。

3.国際学の構築に向けて
 最終的な結論ですけれども、「分析結果の調整による描かれる認識像の再構成」、こういうものを「総合化」と言えると思うんですが、ここでは持ち寄りということなんですが、まず大事な事柄は、私どもは固有の分析方法・認識像の構成が重要ということで、ともかく固有の分析方法でまずやってみる。そうすると、認識像はそれぞれの手法に拠っていますから、同じ対象でも異なってまいります。そこが大事なところだろうと思うんですが、(中略)研究者相互の認識方法をめぐる議論をまずすべきだと。そしてそこから導き出される個々の認識像、ワーキング・プアという問題を分析して見せた、その認識像をめぐる議論・調整・再構成をここでやるべきなんです。例えば、宇都宮大学国際学会というものを作ってそこでやってもいいかもしれない。(中略)ただ、これはかなり難しいと思うんですよね。というのは、研究者というのは「俺が、俺が」だと思うんですよね。研究者の主語はすべて「私」で、譲らない。ある先生がAと言おうと私はBだと言うかもしれません。つまりここの「総合化」ということだと思うんですね。でもこういうことをやるのには、議論を調整するコーディネーターが必要です。先ほどみなさんはワークショップでやったと思いますが、やっぱりここでも学問のこういう問題をリードする優れた学問的な業績というか、そういう方がいるということはやっぱり重要だと思いますね。先ほどから言うように「脱固有の方法」、ただそれは完全に抜け出ろということではなくて、半歩でもいいからということなんです。そういうことも方法的に意識化する。(中略)国際学の構築とはこういうことではないかなと。「なんだ、それだったら私もそう考えた」と思っていらっしゃる方もいると思いますが、そうなんですよ。たいして新しいことを言ってはいないんです。前から言っていることをちょっと言い換えてみただけです。


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