イベント報告

<「多文化共生について考える」連続市民講座VOL.3>

 


日時:2009年5月22日(金)13:00〜

場所:宇都宮大学大学会館 多目的ホール
   
講演 「外国籍住民の人権課題と自治体の対応」

講師  朴 一 (パク・イル)
   
        大阪市立大学大学院経済学研究科教授 

プロフィール
在日韓国人3世。韓国政府平和統一諮問委員会委員、国際高麗学会日本支部会長、現代韓国朝鮮学会理事、
国会参議院国際問題調査会参考人(2005年)執筆活動では、朝日新聞全国版に「Eメール時評」(2001〜2002年)、
月刊誌『論座』(朝日新聞社)に「アジア観察」(1998〜2005年)、朝日新聞夕刊に「たまには手紙で(往復書簡)」
(2007年)をそれぞれ連載。著書に『韓国NIES化の苦悩』(同文館、1992年)、『在日という生き方』
(講談社メチエ、1999年)『在日韓国人』(韓国ポンム社、2005年)、『在日コリアンってなんでんねん』
(講談社+α新書、2005年)、『朝鮮半島を見る眼』 (藤原書店、2005年) などがある。 ⇒チラシ     


  田巻センター長あいさつ(要旨):
昨年4月に多文化公共圏センターが立ち上がりまして、この「多文化共生を考える」市民講座を昨年度は2回開催しました。第3回目の今日は、大阪から朴先生にお越しいただきました。朴先生との出会いは20代の後半で、当時名古屋で開催されたアジア政経学会がきっかけでした。その後、何度かお仕事をさせていただきまして、2000年には『アジア経済を学ぶ人たちのために』という本を一緒に出版出せていただきましたが、今日はそれ以来約9年ぶりの再会です。 じつは来年春に刊行予定の本がありまして、その本についてやりとりをするなかで、当センターのテーマと朴先生がこれまでのやってきたことが非常に重なるということを改めて感じたものですから、ぜひ一度来ていただけないかということで今日の運びとなりました。 今日は久しぶりに「朴節」を聞けるということで、私自身とても楽しみにしています。皆さんも朴先生のお話を聞きながら、日本に住む外国人の現状について考えていただければと思います。


  朴 一先生 「外国人労働者の人権課題と自治体の対応」(講演内容から一部抜粋):
朴 一 (大阪市立大学教授)

  1.日本のなかの外国人
 はじめに、私が大学で教えている学生のレポートを紹介しますが、彼女は大学1年のときに大学の先輩と恋に落ちました。ところがある日、彼の秘密を知ってしまうんですね。「彼はなんと在日韓国人だった。知らない名前が書いてある外国人登録証には彼の写真が貼ってある。なんということだろう。よりによって彼は私がもっとも眉を顰めるような人間だった」と。じつは、日本に住む外国人は外国人登録証というものを24時間、どこへ行くにも携帯しなければなりません。そしてもう一つ、在日韓国・朝鮮人の人たちは本名(民族名)のほかに「通名」(日本名)を持っていて、ほとんどの人たちが「通名」を名乗って生活しています。傍目には見分けがつかないし、自分から「私は韓国人なんです」と言わなければまったく分からない。だから、彼女は彼が日本人ではないことを知ったときに非常にショックを受けたわけです。「私は、私が嫌いな人と付き合っているんだ。彼は私が認めていない人だ。このまま付き合い続けるのか、それともピリオドを打つべきなのか」と。正直言って、彼女は在日韓国・朝鮮人にあまりいいイメージを持っていない。それは彼女が生まれつき持っていた感情ではなくて、おそらく親の教育やこれまでの経験のなかで感じていったのかもしれません。好きになった人がたまたま外国人で、その人に対する偏見と愛情に悩み、葛藤していたんですね。ここで皆さんに考えていただきたいのは、もし自分が彼女の親友あるいは親だったらどうアドバイスするかということです。こうした問題については、自分の問題として考えることが非常に重要だと思うんですね。

2.通名から本名へ
 ところで、私も高校生のときまで通名を名乗っていて、当時付き合っていた彼女や友達には自分が韓国人だということを隠してたんですが、高校2年のときにその通名を捨てました。というのも、高校のときに同和教育というものがあったんですが、英語の先生が授業そっちのけで同和教育をやっていたんですね。で、私に目を付けて、「なんでお前は日本人の名前で学校に来とんねん。今日から本名を名乗ってみたらどうや」というわけです。私はその先生と関わりたくなかったんで無視してたんですが、部活終わりを狙って話しかけてきたり、挙句の果てに家に上がりこんで一緒に夕飯食べながら親を説得するわけですよ。「息子さんもそろそろ韓国人としての誇りを持っとかなアカンから、本名で学校に行かせたらどうですかね」なんて言ってましてね。それで、ある日ブルース・リーの映画に誘われて一緒に行ってみたら、じつは部落解放の映画だったんです。そこで見た『異邦人の河』という作品に出会ったんですが、そのなかで主人公が「俺はじつは日本人じゃない。本当は韓国人なんだ」と本名宣言するんです。その姿が私に大きな感動を与えまして、次の日の朝、学校の体育館で本名宣言をすることになりました。それから朴という名前で生きて行こうと決心したんですね。

3.社会に出てからの差別
 大学に進学した私は本名で就職することを心に決めて一生懸命勉強しまして、大学3年のときには就職課の担当者からもお墨付きを貰って、当時希望していた都市銀行・金融機関に書類を出したんですが、20社のうち19社に書類選考で落とされました。そして最後の1社の外資系銀行でも「君は成績優秀で英語の語学力もあるから是非とも採用したい。ただ、残念ながら日本のマーケットでは韓国や朝鮮に対するイメージが非常に悪いから、とりあえず日本名で働いてくれ」と言われました。しかし私は本名で働くことを望んでいたので、仕方なく断りの電話を入れて就職は諦めました。その後、大学院に進学して、さらに東京の大学の教員になれたんですが、そこに行って一番困ったのが部屋探しだったんですね。1日5件の不動産屋を回っても全部が「外国人お断り」だと。4日間回って20件すべてに断られました。それで困り果てて大学のある先生に相談したところ、弁護士を紹介していただいてすぐに電話しました。翌日その弁護士事務所に行ってみると、15人くらいがシュプレヒコールの練習をしていて、最初に断られた不動産屋に押し掛けるんだと言うんです。私は嫌々ながらついて行ったんですが、着くなりドアに貼ってあった「外国人お断り」のポスターを剥がして、ドアを蹴破り、狭い事務所内で拡声器を使って「許さないぞ!」と叫ぶんですよ。向こうも「警察を呼ぶぞ!」と応戦するんですが、弁護士がバッジを見せながら「あなたは憲法や国際人権規約に違反しています。このままだとあなたが訴えられます。朴さんに即刻マンションを紹介しなさい」と言うと、「私は断腸の思いで断ったんだ。なぜなら、朴さんにそこを紹介しても、大屋さんに断られるのが可哀想だと思ったからだ」と。結局、日本人の保証人を付けることで部屋を借りることができたんですが、こうした入居差別に遭っている人はじつはたくさんいるんです。

4.外国人差別に対する自治体・政府の対応
 日本には「国籍条項」というもので外国人を合法的に排除してきた歴史があります。「日本以外の国籍の人は受験できません」という大学も17校ほどありますが、大学や企業だけでなく、自治体も同様なんですね。そうした差別を問う裁判が数年前にありまして、東京都の看護師の管理職採用試験についてのものでした。在日韓国人で看護士の女性が上司の勧めで管理職の試験を受けたところ、出願時にはなかった国籍条項があとから付け足されていたんですね。納得できない彼女が「国籍条項なんてなかったじゃないか」と問い合わせたところ、「国籍が違うなら昇進試験を受験できないことは当たり前だ」と言われたと。それで裁判になって、二審では彼女が勝ったんですが、最終的に最高裁で敗訴になりました。もちろん日本にも外国人を管理職に就けるような自治体はありますが、そうした先進的な取り組みをしている自治体と、外国人を雇わないという保守的な自治体に別れているんですね。日本ではこれから介護の現場などに外国人を多く雇用する方針のようですが、外国人の方をそれなりに日本に入れるのであれば、その人たちを受け入れるだけの、差別を緩和するようなインフラ整備をしていかなければならないと思います。差別を残したままでは日本に来た人が可哀想だし、私が受けたような入居差別や苦しさを外国人の人たちに味あわせたくない。私たちの次の世代は、外国人であっても人間らしい生活を送れるような国にしていくことが日本のためにもいいんじゃないかなと私は考えています。もちろん異論をお持ちの方もいるとは思いますが、お互いの主張を聞きながら歩み寄れるところは歩み寄っていくという作業が必要な時代になってきているんじゃいかなと思います。


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