イベント報告

<連続市民講座「多文化共生について考えるVOL.5」>

 


・日時:2010年11月21日(日)14時00分〜16時00分  

・場所:宇都宮大学陽東キャンパス311教室

・講師:足立信彦氏
    東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻教授
        [プロフィール] 
    1979年東京大学教養学部卒業, 1983年から1985年までドイツ・シュトゥットガルト留学。

⇒チラシ
    


・演題:「寛容の限界」―異文化をどこまで受け入れるべきか

  足立先生 *足立先生の講演内容から一部抜粋して構成しました。

  〈問題提起〉

  「名誉の殺人」という言葉があるのですが、お聞き になったことがあるでしょうか。これはしばしばイスラム教徒の風習のように言われることがありますけれど、それとは何の関係もありません。ドイツのベルリンで、あるトルコ人の若い女性が殺されたという事件がありました。彼女の兄弟、弟か兄に殺されたのです。なぜ殺されたのかというと、彼女がトルコ人の家族から出て一人で自由に暮らしたい、恋愛もしたいと言い出したからです。子どもの時にドイツに来て、あるいはドイツで生まれ長く住んでいれば、価値観はドイツ人と同じようになっていく人が多い。そのトルコ人女性もほかのドイツ人の若い女性と同じように暮らしたいと願った。そうすると自分の家族の価値観との衝突が起きる。トルコの伝統的な価値観からすると、若い女性がひとりで外に住んで、もし何かあれば家族の不名誉となる、だからそうならないために殺してしまったのだということです。(中略)
 こういう事件が起きると、どういう風に考えたらいいか困ってしまいます。もちろん「名誉の殺人」をおこなった彼女の兄弟はドイツで捕まっていますからドイツの刑法によって裁かれます。しかし話はそこで終わりません。この殺人の背景になったトルコ人の家族観、価値観、女性や女性が果たすべき役割についての考え方、そういうものをどう判断したらいいのか、どう扱ったらいいのか。「それは文化の違いだから仕方がない。殺人を犯したら犯人を捕まえて処罰すればそれで済む。価値観はどうしようもないからほっておこう」ということでいいのか。私は基本的には他者の、よその、外国の、ほかの民族の文化とか価値観をとやかく言いたいとは思っていません。どちらがいいとか悪いとか、口を挟みたいとは思っていない、だけれども殺人に繋がるような価値観をそのままにしておいていいのか、少なくとも異議申し立てくらいしなくていいのか、と疑問に思うわけです。だからと言って、トルコ人とかトルコの文化とかが全部だめということであるはずもない。いったい、どういう範囲で、どの程度まで、どういう理由で異議申し立てをするべきなのかということはやはり考えてみるべき問題ではないでしょうか。


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