イベント報告

2014年国際開発学会「原発震災から再考する開発・発展のあり方」研究部会

         震災から4年目を迎えて「まだ続く福島原発震災の困難と目指すべき社会のあり方を考える」

■日時:2014年7月25日(金)18:15〜20:45

■場所:早稲田奉仕園リバティーホール

■プログラム
 
 司会 黒田かをり(国際開発学会社会連携委員会副委員長)
 
 第一部  基調報告 
     @ 重田康博(宇都宮大学国際学部教授)
      「原発震災後の開発研究の再考―被災者・避難者の困難と課題」

      A 丹波史紀(福島大学行政政策学類准教授)
      「福島原発事故が社会にもたらした困難と復興」
 
 第二部  パネルディスカッション
     @ 古沢広祐(国学院大学教授)
      「原発震災後の社会の持続可能な開発のあり方」
     
     A 大橋正明(国際開発学会社会連携委員会委員長)
      「国際的防災枠組みと原発災害」

     B 田村太郎(ダイバーシティ研究所代表)
      「原発震災後の復興とこれからの社会」

     C 総括コメント・質疑応答

 閉会の辞 佐藤博(国際開発学会会長)



                    
     「まだ続く福島原発震災の困難と目指すべき社会のあり方を考える シンポジウム」

                               
                                                     

<司会挨拶> 黒田かをり(国際開発学会社会連携委員会副委員長)

  本日の司会は、国際開発学会社会連携委員会 黒田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。


<開会の挨拶> 重田康博(宇都宮大学国際学部教授)

  国際開発学会「原発震災から再考する開発・発展のあり方研究部会」代表の重田です。どうぞよろしくお願いいたします。
 併せて今日は、国際開発学会社会連携委員会と共催でやらせていただきます。従来、国際開発学会では原発震災の研究や
 発表を取り上げる会員が少なく、その機会も限られていたため、私たちはこの研究会を原発震災後の3年前に発足させました。
  
  震災から 3 年半経過して被災者・避難者の権利の問題は続いていますが、一方日本社会の中では風化しつつあります。
 これに対して宇都宮大学では「福島乳幼児妊産婦支援プロジェクト」を立ち上げ調査研究をしてきました。こういう時だからこそ、
 被災者や避難者の困難にどのように対応するかを考えなければいけません。と同時に、次の社会をどうするか考える時期になっています。
 今、持続可能な社会と言ってよいかわかりませんが、今後どうするかについて一緒に考えることが今日のシンポジウムの目指すところです。
 パネリスト、報告者も多彩なので、オープンエンド的なシンポジウムにし、私たち学者・研究者の役割についても検討していきたいと思います。
  
  今回の開催にあたり、ご協力いただいた関係者の方々に感謝申し上げます。


<第一部 基調報告>


@ 「原発震災後の開発研究の再考―被災者・避難者の困難と課題」 重田康博(宇都宮大学国際学部教授)

  私からは「原発震災後の開発研究の再考―被災者・避難者の困難と課題」という観点から ご報告いたします。
 今回の報告では、3.11 東日本大震災から 3年半が経過していますが、現在も原発避難者の困難と課題は続いている中で、研究者は
 何をしていくべきか、開発研究はどうしていくべきか皆さんと一緒に考えていくことを目的とします。報告の内容としましては、
 私が行っている福島乳幼児妊産婦支援プロジェクトの立ち上げから現在に至るまでの活動報告、原発震災後の開発研究をどうすべきか、
 開発研究の再検討という点から報告します。
 
  「福島乳幼児妊産婦支援プロジェクト」は、宇都宮大学国際学部の多文化公共圏センターの中のプロジェクトとして進めています。
 多文化公共圏センターでは、公共圏の問題や多文化共生について取り上げています。また、国際ソロプチミスト宇都宮、一般社団法人
 国立大学協会、日本学術振興会科学研究費からのご支援をいただいております。

  このプロジェクトは 2011年4月に立ち上げて現在まで活動を続けています。目的は、原発被災者の中でも放射線の影響を最も受けやすい
 乳幼児や妊産婦への支援と、その権利回復のために必要な調査や報告を行うこととしています。支援対象は、福島県からの避難者世帯、
 栃木県北のホットスポットで暮らす子育て世帯としています。
 プロジェクトは宇都宮大学国際学部の若手教員4名とコーディネーター1名で進めています。
  
  2011年度から2012年度の活動は、栃木県内への一時避難者への訪問と聞き取り、学生と協力して開催したママ・パパ茶会という交流会、
 アンケート調査による被災者への調査、報告会や報告書刊行による社会発信などでした。アンケート調査では、福島県内や栃木県内の
 避難者や北関東の避難者にアンケートを回答いただき、福島県内や栃木県内にどのようなニーズがあるのかを抽出し、そのニーズを
 どう活動につなげるかということを考えてきました。また、その内容を踏まえて復興大臣宛に提案書や要望書の提出もしました。
 支援対象地域のニーズに対して市民団体や行政の短期的な支援はどうであったか、また国や行政による長期的な支援や被災者の権利回復は
 どうするべきか、ということに対応してきました。それらを経て市民の理解を得ているということを意識しています。
  
  2013年度の活動は、福島県からの避難者アンケート、震災後の栃木県北地域における乳幼児の保護者へのアンケートを実施しながらニーズ
 の調査をしました。また、「原発事故による栃木県内への避難者・栃木県北の乳幼児保護者アンケート報告会」およびパネルディスカッション、
 明治学院大学での「終わらない 3.11 原発震災の被害―北関東の被災者・福島県からの避難者調査から考えるシンポジウム」なども開催しました。
 
  2013年8月の「福島県からの避難者アンケート」は、宇都宮大学の阪本教員と匂坂コーディネーターが実施しました。特にこの調査では、
 住宅に関するニーズ、子どもへの教育に関する問題、自主避難者の声がなかなか届かないなどの意見を把握することができました。 
 借り上げ住宅の延長については実際に問題となっています。このアンケートから見えてきた要望としては、交通や健康に対するニーズが
 比較的多かったということがわかりました。 自由記述の欄では、「あの日以来人とお話する事で恐怖心が高まり不眠や精神面で落ち込んでしまいます」
 「本当のことが報道されていない。日本国全体が忘れようとしている」「とても複雑な思い、葛藤があります」「先の見えない生活に不安を抱いている、
 つらい」ということを書いていただいています。
  
  また、同じく 2013年度の活動である栃木県北地域における乳幼児保護者アンケートは、宇都宮大学の清水教員と匂坂コーディネーターで実施しました。
 栃木県北部地域における子育て世帯の調査・対応としては、北部地域は福島県ほど支援がなかったり、マスコミの注目が少なかったり、
 風評被害があったり、批判の恐れがあったり、周囲へ不安を掻き立てることへの遠慮や不安があったりというような問題がありました。
 94%が震災後の子育てに不安を抱いているということが結果として出ました。2ヵ月の回収期間中に那須塩原市と那須町を対象として 
 3241世帯にアンケート調査を実施し、2202世帯から回収することができました。回収率は68%で、比較的高い回収率となっています。
 また、「放射性物質の対応をめぐって女性や母親の意見が十分に反映されていない」という質問に対しては、6割以上の方が同意しているという
 結果が出ています。アンケートに対して、「こういったアンケートはあの時の意識を取り戻す機会でもあり今後も継続してもらいたい」
 「子どもが大人になってどこから生まれたのか、どこ出身かと聞かれそれが原因で結婚できなくならないか心配、甲状腺検査を全員に実施して
 もらいたい」「今回のアンケートで深層的な気持ちを数値化して目に見える形にしたのは大きい」というような声が寄せられました。
 
  アンケート結果を広く社会に発信し、問題提起を行うことが求められています。長期保存が可能な紙媒体による刊行には、多くのニーズがあり、
 現在も送付希望が被災者、行政関係者、研究者、メディア関係者から届いている状況です。
  
  「原発事故子ども・被災者支援法」では、自主避難者や子ども、妊産婦の健康被害に対する支援を求めていますが、未だ機能していない状態です。
 この支援法は 2012年6月に議員立法・全会一致で可決しましたが、自民党政権になって以降動きがなく、国民にも被災者にもほとんど認知されていない
 状態です。
 
  福島乳幼児妊産婦支援プロジェクトのコーディネーターによる支援活動は、面談や電話による相談受け付けで対応したり、学生団体と
 ママカフェという交流会を開催したりとなっています。ママカフェに参加してくださった方からは、「年齢の高い方が参加するお茶会や自分の状況を
 説明する意見交換会には参加しづらいが、ママカフェなら気軽に行くことができる」という声をいただいています。また、ニュースレターを学生団体が
 発信して、ニーズをくみあげていくという活動も行っています。「栃木避難者母の会」という当事者団体に対して、プロジェクトのコーディネーターは
 設立と運営の支援を行っています。内容としては、交流会の事前準備、保育サービスの手配、ファシリテーターの役割を担うなどです。
  
 このプロジェクトのこれまでの成果としては、今までにない大規模な被災者アンケート、コーディネーターによる丁寧な支援活動、報告書刊行による  
 社会的な問題提起を実施してきたことが挙げられます。今後も報告書の刊行を含む社会的な情報発信とアンケート調査の実施を継続していきたいです。
 また、特に避難生活で孤立する子育て世帯の女性たち、栃木県北地域で子どもを守るために地道な活動を続けておられる女性たちへの支援と協働を
 重点的に行っていきたいと考えています。
 
  今後の支援では、北関東などの低認知被災地にも福島県と同様に支援を行っていくこと、不安解消のために除染・空間放射線量の測定・土壌汚染調査・
 食品測定・健康調査に長期的に取り組む必要性を訴えること、利用率の低い線量計を貸し出すこと、食品検査・健康調査を利用しやすくする工夫や
 検査結果の丁寧な説明、経済的に打撃を受ける関係者への対応なども検討していきたいと考えています。
 
  これらを受けて開発研究者の役割について考えていきます。3.11 東日本大震災と原子力発電所の放射能事故後、日本はどのような社会や文明を目指せば
 いいのか、成長神話による国家主導の開発やマネー資本主義による開発のあり方や原子力エネルギーから自然エネルギーへの転換等の議論がありました。
 また、国家や企業主導による一方的な開発や経済成長偏重による開発のあり方に対し、批判や疑問が必要だとの意見もあります。グローバリゼーションを
 再考するために、国家と市民社会の関係性に焦点を当て、国際開発学会において「ポスト開発/ポスト・グローバル化時代における国家と市民社会」を
 報告し、論文にまとめました。そこでは、とくに福島の乳幼児を含めた子どもや女性たち、避難者や被災者等脆弱な立場にある人々と、南の国々における
 強制的に「周辺化された立場に追いやられた人々」 との共通性について報告しました。
 
  南の国と福島の周辺化された人々に対して国際開発学ができることは何かを考えていく中で、開発や経済成長を否定する理論・概念ではなく、「新しい
 豊かさを求める動きを創生しようという社会」という考え方が登場しました。イリイチの「経済性に囚われない豊饒な社会」、アンベールの「コモン
 ヴィヴィアルな社会(愉しみ(たのしみ)あふれる分かち合う社会)」、ラトゥーシュの「脱成長社会」という考え方が西洋社会から発生しました。
 これに対し、明治学院大学の勝俣誠先生は「これらは西洋やラテン・アメリカから来た思想であり開発を進める途上国に受け入れられるのか」という
 疑問を呈しています。この議論の中で重要なことは、今後国家や企業による一方的な開発を進める国々において、脆弱な周辺化された人々の擁護権利を
 どのように求めるのかを問うために、その研究や学問を構築していくことでしょう。
 
  経済学者のシューマッハは『スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学』の中で、世界中の人たちを救うのは人間の顔をもった技術と述べています。
 また、石井和也氏の『身の丈の経済論』では、シューマッハはガンジー思想の継承者と述べ、ガンジー思想を強調しています。ガンジーはインド古来の
 チヤルカー(手紡ぎ車)運動を通じた、大量生産ではなく大衆による生産の実践を行いました。シューマッハは、自立の技術、民主的技術、民衆の技術である
 ガンジー思想を引き継いだ「中間技術(Intermediate Technology)」を提唱しました。また、1970年代という経済成長優先型開発が推し進められたこの時代に、
 シューマッハが現在のポスト開発/ポスト・グローバル化の考え方にも通じる「スモール イズ ビューティフル」を提唱したことは大変意義深いことです。
 そして、シューマッハは、1970 年代から「人間が、自然界に加えた変化の中で、もっとも危険で深刻なものは、大規模な原子核分裂である」と経済性最優先の
 原子力の平和利用を警告していました。
 
  福島乳幼児妊産婦支援プロジェクトを行っている宇都宮大学の多文化公共圏センターでは、共存・共生できる公共圏の創出を目指しています。開発研究においても、
 周辺化された人間が共存し共生できる「場」や「空間」としての公共圏の創出が必要と考えられています。
 私自身も、共存・共生できる公共圏が周辺された人々や脆弱な人々を包摂し、合意形成や政策決定を行う場や空間となる必要があると思っています。
 
  本研究部会では、国際開発学会において原発震災の諸問題を示し、他の開発問題との関連も提示した上で、国際開発の問題として取り上げています。
 原発震災より 3年半が経過し、問題が複雑化しているにもかかわらず、その一方で政治・社会による隠ぺいもしくは風化が進行しており、このように
 問題解決がほど遠い中で、研究者の役割は大きいのではないかと思います。国際開発学を専攻する研究者の役割は、南の国と福島の周辺化された人々に対しては
 何ができるかについて常に考え、彼らの置かれている状況と問題を分析し、その問題と解決策を社会に提示していくことであると考えています。
 これで私の報告は終わります。ありがとうございました。 


A 「福島原発事故が社会にもたらした困難と復興」 丹波史紀(福島大学行政政策学類准教授) 

  福島からの大学教員として、原発事故が社会にもたらした困難というテーマでお話ししたいと思います。 
 
  今回の原子力発電所の事故とその後の災害を考えるとき、それを「福島」と表現されますが、事故の被害や影響がいろいろなところに表れているにも関わらず、
 問題の多くが「福島」という分脈の中だけで語られてしまっていると感じます。他人事ではなく自分事として、当事者性を持って考えることができるかということを
 最近の被災地で言っています。しかし、意外に当事者性がないのが研究者ではないかという感想を持っています。
 シンポジウムを学会でやってもあまり参加せず、大変だよね、と言われるだけで、研究者自身にもあまり当事者意識があまりありません。そのような中において、
 4年目になってもこのようなシンポジウムが開かれることをうれしく思います。
 
  今日は、被害が多面的な側面を持っていて、単に放射線の問題だけでなく社会、環境や、 さまざまな場面に被害や影響をもたらしていることを確認したいと思います。
 まず一つは、原発事故と原子力災害は分けて議論するべきではないかということです。もう一つは、放射線量への認識や評価のばらつきが研究者や市民社会の中でもある中で、
 住み続けたい人、帰還をしたい人の権利、避難をする権利をどう尊重していくかということです。
 
  事故直後は、避難の実態の把握に努めてきましたが、福島に自分の身を置いているということもあり、避難した人をフォローしていく一方で、福島で生活をしていこうと
 している人が何を考えどう生きていきたいと考えているのかについて代弁したいと考えています。
 
  原子力発電所の事故は、甚大で取り返しがつかないものです。被害の不可逆性とよくいわれますが、生態系をゆがみ、家族や地域の離散等は未来の損失にもつながりかねません。
 
  この事故は過酷な事故でしたが最悪はまぬがれたと思います。一方で、原発事故と原子力災害とは分けて考えなければなりません。海外ではアクシデントとして関心を呼びますが、
 それによって社会がどのような状況であるかという報道は十分とはいいきれません。そういった意味で人や社会、環境へのさまざまな影響を広範囲に確認していく
 作業が必要だと思います。

  先日、タイで行われたアジア防災閣僚級会議に参加しましたが、防災の分野の中で原子力災害をどう扱うかということは大きな課題でした。
 災害が住居や命を奪うだけでなく、コミュニティそのもの、個人としての誇りや尊厳も奪いかねません。長期にわたる災害があるような状況の中で、これまでの
 自然災害を想定した防災政策の見直しが必要とされています。 
 そして、原子力災害のリスクをどうやって政策に入れていくかということが課題になってきます。加えて、災害を受けた人々のニーズの把握も大事です。
 
  まず、原子力災害は長期間にわたる災害なので、時間軸をどうとるかが不明確です。復興計画を 5年10年単位で作ろうとしても、広範囲に被害がわたっているので
 時間軸が見えないのです。線量がどのくらい下がるのか、除染の効果も不明、事故が収束するかすら不明確な中で計画を作らざるを得ない苦悩があります。一方で、
 人々の生活再建の遅れもあります。 
 阪神淡路のときは震災3年で住民が仮設住宅から復興公営住宅などに移っていましたし、中越地震は旧山古志村などですでに帰還が始まっていたことと比べると、
 原発事故はだいぶ時間軸を長期に取らねばなりません。仮設住宅が点在し、福島県から全国に避難者がいるのはご存知のとおりです。
 
  2011年9月に双葉郡の実態調査をしました。28,000世帯を対象にして半分くらいを回収しました。調査結果から避難回数は4割近くの世帯が5回以上で、家族離散の
 裏づけになりました。また、被害の状況が社会的に下位の人(非正規労働者等)に及びやすく、パートアルバイトの8割が無職になり、その多くが女性だということが
 分かりました。なおかつ、双葉郡では、6割が無職、7割近くが求職していない状況です。高齢等で、前に踏み出せない状況なのです。原発避難者はいろんな場面で批判的に、
 デマを含めて話されます。置かれた困難な実態をつぶさに評価せず一面的に評価しがちになります。それを避けるのが研究者の役割だと思います。
 
  南相馬市の求人については、ファミレスの時給が1300円なのに人が集まらない、マクドナルドも人が集まらなくて再開できない状況です。そこには、ミスマッチがあります。
 外食産業の支えていたのは女性、若者だったのです。ところが、そういう人たちが避難を余儀なくされているのに、求人は男性中心の仕事ばかりなのです。
 
  また、福島県は宮城、岩手に比べて災害関連死が直接死と同じくらい、またはそれ以上にあることは無視できません。避難者も半分くらいいるので冷静に判断しなければ
 ならないのですが、長期の避難生活が健康を悪化させる、なおかつ家族が離散していることの社会的影響は非常に大きいと思います。ひとつの例に、半分くらいの世帯が
 離散している状況で、介護ニーズが高まっていることが挙げられます。今までは家族が介護していたのですがそれができず、それを支えていた病院も、南相馬市では
 56%の病院を再開できずにいる状況で、世帯の離散が人々の病気治療、介護に影響しています。

  さらに帰還の問題です。政府は線量だけで区域の見直しをします。川内村では避難指示解除を明日したいと言っていますが、住民からは解除は無理だという声が多くあります。
 もともと、川内村の半分は帰還していましたが、生活の中心は帰還困難地域の大熊町、富岡町に依存してきました。その町がすぐに戻れないという状況の中で、いろいろな
 努力をしていますが、生活の基盤が成り立つのかという不安が大きくあります。南相馬市では7万人のうち1万人ほど減り、今は66%が戻っています。しかし、若年層や
 子育て世帯が(生産年齢)帰らず、急速な高齢化が生じています。
 
  復興計画を作るとき、地域からの要望として、人口が増えるような計画を作るように言われますがそれは無理です。シビアな部分も評価しながら、自治体の方々と考えていかねば
  なりません。国立社会保障人口研究所による市町村別の人口推計では、震災後の福島県は推計できませんが、福島県は震災前から人口減少社会の傾向はあったのです。
 原発震災は、二重の意味で自治体に困難をあたえているのです。人口推計については冷静な判断が必要でしょう。 
 
  避難、帰還、移住が考えられてきて、福島で生活する人、避難する人、避難できない人の間で時にはコンフリクトがありました。国連の指導原則は単に帰還を想定している
 ものではない、再定住を含む地域での再統合を行政に求めています。なおかつ、避難を余儀なくされた住民に、避難先の地域社会の中で地域づくりへの参加を促しています。
 双葉郡の人が福島県内のほかの市町村で長期間生活をせざるを得ない状況になったとき、この人たちの地域での生活、市民権をどう考えるかということは大きな課題です。
 
  安心して生活する、生活を再建するというゴールは一緒ですが、その道のりは複線的であり、ただ帰還することだけが復興ではなく、多様な道のりを描くことが大事だと思います。 
 基本的な考え方として、帰還の有無に関わらず個人家族の生活再建が最優先される、帰還する住民には特別な努力が報いられることが重要です。さらに帰還を選択しない
 住民の人たちも公平な取扱い、つまり住宅の提供等安心して生活できる環境の整備が課題です。さらに、長期避難者の市民権をどうするかということもあります。
 
  最後に問題提起的に話をします。被害の実態を厳しく見る人の中には、除染は効果がないのではないか?中間貯蔵施設を原発の近くに作ればいいのではないか?と議論をする
 人がいます。では、双葉郡の人たちは故郷で生活を再建する権利はないのかということをよく考えなければなりません。みなさんと一緒に考えたいと思います。


<質問> 質問者 A 様
 @基本4原則はオーガナイズされていますか。
 A人口推計で若い女性が減っているところが将来的には究極の過疎地域になっていくという統計がありますが、若い女性の動向は反映されていますか。

<回答>
  基本4原則は、オーソライズされておらず自分で考えていたものです。ただし、日本学術会議の中で復興に関する議論をしました。移住、帰還、長期退避などの社会的な権利を
 どう考えるかという議論がありました。議論していく中で、それぞれの立場の考え方を示しただけなので、もう少し学術的な場面で議論していきたいと思います。
  人口推計は、男女別の分析はまだやっていません。やれるのですが、専門家が福島の人口推計を放棄しているので、自分でやるのは困難な状況です。5割7割というのも女性たち
 より男性の人口が多く、よくよくは福島でも経験するでしょう。若い女性、子育て世代が少なくなると人口推計が大きく変わってくるので、現実的な調査、推計をしながら、
 議論していかねばならないと考えています。




<第二部  パネルディスカッション>

 @ 「原発震災後の社会の持続可能な開発のあり方」 古沢広祐(国学院大学教授) 
 
  先ほどの重田先生からご報告では、持続可能な社会、原発震災後の社会が平時になっていく方向性を示されましたが、私の報告では現実は持続不可能な社会になるという問題提起
 をしたいと思います。
 
  私たちは、現在持続可能な世界に向かっているのではなくて、多大なリスク社会に向かっています。福島原発事故の経験や意味をちゃんと受け止められていません。より大きな
 リスク社会にこれから進んでいくという状況に、目を向ける、認識する、そしてそれにどう備えるかという問題を課せられている状況だと感じています。持続可能な世界が来る
 かもしれませんが、当面、光に向かっているのではなくて真っ暗な世界に向かっているのです。
 
  2008年に地球温暖化対策に向けて「原発ルネッサンス」というキーワードが語られました。原発事故でこのワードがひっこんだのですが、また掘り返しています。先週の東アジア 
 の大きなシンポでも原発をちゃんと位置づけようという声があり、その方向に向かっています。「原発ルネッサンス」に大きなブレーキがかかっていますが、世界全体では419基の
 原発が稼動し、原発を輸出しようともしています。中近東、アジア地域にも原発建設の計画があり、2030年には800基になろうとしています。現状をどういうふうにみるかは難しい
 ことです。
 
  今回の原発事故のレベルは当初レベル4としておきながら結局レベル7になりました。きちんとした状況の把握ができず、情報共有ができていないままにこういう事態になっています。
 この事故の状況を私たちはきちんと見なければなりません。一般的な事故の流れでは、潜在的な事故のリスクということで、1つの事故に300の微細な事故があり、事故の状況は
 次第に危険度が高まっていきます。原発事故でもそういう状況をきちんとみなければなりません。原発事故については、さまざまなレベルで事故は起きており、大きな放射能は漏れ
 ませんでしたがスリーマイルの事故でも明確な原因究明ができなかったなど、不十分な状況をみるべきでしょう。資料の21ページをみると、原発数は将来的には倍になっていくとして
 おり、とくにアジア近辺が増えていきます。日本の原発が世界最高水準といっていますが、実際には問題を抱えたまま増えてきたのが現実です。
 
  地球全体の自然災害を含めた災害でもいえることですが、原発を持っている災害リスクに私たちは向き合っていません。また、もう一つ考えなければならないことは、原子力の平和利用
 という核兵器の問題と深く密接につながっている問題です。これは議論しにくいところですが、私は23ページのように核の利用の問題についてフェーズを3つに分けてとらえています。
 20世紀にはいって日本も含めてですが、1945年から大気圏内での核実験を500回ほどしていて、世界中が被ばくしています。また、原発事故と広島原爆と核の利用を比較すると、広島
 原爆は1キログラムが核分裂したといわれていますが、原発は100万キロワットの発電能力として1日で3キロの核分裂を行っています。いかに大きな核分裂かということです。そして、
 核廃棄物処理の問題を抱えていますが、これは何百年どころか、何千年以上も続く問題ですし、福島の原発事故の場合はきちんと管理できていない、対応しきれていないという状況が
 何年も続くのです。私たちは核のしくみに対して技術的に解決していない、放射性廃棄物の処理も全く対応できていないのです。後始末できないものが先送りされて、目先の利益優先で
 動いているのが核利用の現実です。
 
  最後に、時代認識についてのフェーズについて説明します。フェーズTは核を利用し原爆の汚染があった50年代から60年代で、細かく調べればその被害、放射能汚染が今も観測する
 ことができます。フェーズUでは原発利用の時代状況下の動きですが、チェルノブイリ事故の後始末が今なお続いています。このときの輸入ラインの基準は370ベクレル/kgでしたが、
 現在日本では一般食品に100ベクレルが適用になりました。この水準が適用されて(2012年)から、輸入食品からこれをこえるものが見つかり出しました。放射能汚染の問題が隠れて
 いたのが顕在化してしまったのです。過去の原爆実験時代から今日まで、我々は知らないまま潜在的なレベルで被ばくしているのです。そして、そもそもこのような状況が認識されて
 いないという問題もあるのです。
 
  これから新たなフェーズVの段階に入りかけています。そこでは、現状のような状態のまま核の利用がされている上、軍事的な秘密や実態がわかっていません。そして、核施設が
 世界中にできています。さらに平和的利用として核施設が増え、そのリスクが潜在的に積みあがってくる、そしてなおかつ自然災害からのリスクに加えて、テロのリスクなど人為的な
 環境のリスクを抱えていく時代になっているのです。私たち個人のリスクは、国際関係の中での問題、格差・貧困の問題などいろいろな問題と絡めて社会そのものの成り立ち自体が
 不安定になる方向で動いています。不安定化、不確定性が高まってきている一方で、現状を維持し核の利用を存続、拡大していこうとしているのです。
 
  このような状況について複合リスクの時代といわれたりしていますが、問題は複雑化しています。21世紀の課題について、気候変動問題にかかわる IPCC という世界の科学者から
 最新報告がありました。それによると、課題としての温暖化の防止や予防についての問題対応は終わり、現在はどういうふうに適応しようかという段階、抑えこめないならばどのレベル
 まで受け入れるかという受け入れ方の問題になっています。受け入れたときの問題として、適応や順応、そして防災が問題になってきます。自然災害リスクは21世紀末までに頻度が
 上がってくることが予想されます。そのリスクは弱いところにしわ寄せされて出ますが、それにどう適応するか、リカバリーするための準備をどうするかという段階になってきています。
 我々は、原発、気候変動、生物多様性の危機といった環境的な危機と国際政治や社会の不安定化など巨大な複合的変動リスクを抱えて21世紀を生きようとしているといえるでしょう。
 
  持続可能な社会という理想は大変困難ですが、困難さを真剣に受け止めること、そして今が平和で安心できる持続可能な社会に転換していく大変重要な契機の時期にいるということを
 自覚することだと思います。残念ですが現実は、リスクを抱え込んでいるにも関わらずそのリスク認識に対応することさえできていない、その辺から出発しなければいけないという
 状況が現在なのです。


A 「国際的防災枠組みと原発災害」 大橋正明(国際開発学会社会連携委員会委員長)

  私は、JANICという国際協力のNGOの責任者をしています。来年の3月に仙台で開かれるJCC2015という国連防災会議に向け、JANICと日本の市民団体らが一緒に活動していく予定です。
  
  今日は、国際的に防災がどうなっているか、3.11原発災害がどう扱われているかについて報告します。
 
  私は国際協力に活動家、学者として35年ほど携わっていますが、災害のことはあまり関わらずにいて、詳しくは知りませんでした。ところが、この3.11がもし途上国であったならば、
 非常に大規模な飢えや貧困、人口移動などの大問題になると思いました。3.11の後、これは開発の問題だと気が付きました。
 
  改めて調べてみますと、日本が世界の防災の仕組みの上で大きな役割を果たしていることが分かります。1987年に国連総会で「国際防災の10年」として日本政府が防災の提案をして
 います。そして阪神淡路大震災の1年前の1994年に、国連世界防災世界会議を横浜で開催し、そこで初の国際的な防災戦略「横浜戦略」を採択しました。当時の基本認識は、持続可能な
 経済成長は災害に強い社会の構築と事前準備による被害軽減なくしては達成できない、人命財産を守り自然災害による被害軽減を目的に地球規模の防災体制確立に向けた事業に着手する、
 という自然災害からのみの防災でした。
 
  その後国連はこれを受けとめて、それを実行する組織が必要だということで UNISDR(国連国際防災戦略事務局)という組織を作りました。そして阪神淡路大震災から10年後の2005年に、
 兵庫県神戸市で第2回の世界防災会議が開催され、世界の貧困を半減する国際目標であるMDGにあたるような国際防災戦略、「兵庫行動枠組、Hyogo Frame for Action(以降、HFA)」を
 採択しました。ただ、このHFAの対象は「自然の驚異ならびに関連した環境上、及び技術的な脅威及び危険性により生じた災害」なので、チェルノブイリのようないわゆる人災、公害、
 産業災害は除外されています。福島のようなものは自然災害に起因するので扱えるのですが、身近な政府の反対があったようで現実にはほとんど扱えませんでした。
 2015年には、仙台で第3回世界防災会議が開催され、そこで現在のHFAに代わる新しい国際防災戦略が決まります。このためにこれまでに、世界9箇所でリージョナルコンサルテーション
 をやり、それらをまとめて文案を作る第一回の準備会合が先日ジュネーブで開かれました。その後、11カ国の政府が入ってまとめたドラフト0がまもなく出てきます。それにむけて
 私たち日本のNGOやNPOは現在動いています。
  
  UNISDR は国連の戦略レベルの取りまとめ役で、そことペアとなって現場の支援調整をしているのがOCHAです。
 UNISDR は、HFAがどう実施されているかを確認するための一つのやり方として、世界中から数千人が集まるグローバルプラットファームを隔年で開催しています。その会議が去年5月に
 ジュネーブでありました。そこに私たちNGO関係者は、福島で有機農家の方と一緒に参加しました。そのとき気がついたのが、その最中に開催される多くの会議やイベントの中で、
 ほとんど福島のことが語られていないということでした。日本政府の代表は福島県選出の先生(大臣)だったのですが、福島については大丈夫としか言っていないのです。政府は原発を
 輸出しようとしていたため、そのために原発事故は起きないと主張したいのだろうと想像しました。
 
  現在の国際防災戦略では、チェルノブイリや水俣、バングラディッシュのラナ・プラザ事件などの、いわゆる人災や産業災害は扱えません。しかし、経済がグローバル化すると、この
 ような災害は世界的に共通する関心事になっています。しかしこうった災害への対応が、グローバル化していないのはおかしな話です。そこで私たちは昨年、ジュネーブのグローバル
 プラットフォームの場で、JCC2015という日本の市民団体の連合体を作ることを構想し、今は共同で活動しています。
 
  また隔年に開催されるアジア防災閣僚級会議がこの6月に開かれ、私たちは去年末から何度も提言書を提出しました。また福島からも10人近くのNPO活動家が赴いて、直接話をしたり、
 展示をしたりしました。そこで採択されたバンコク宣言はあまりいい内容はありませんでしたが、UNISDRが次の国際防災戦略を作成するための最も重要な資料「エレメントペーパー」を
 その直前に出しました。その中には「テクニカルハザード」、「ニューリスク」、「キャスケーディング災害」といった言葉が出てきます。UNISDR 幹部にその意味を聞くと、原発災害を
 ふくんでいるということでした。UNISDRに対し日本政府は、最初は 原発災害を対象にすることに反対していましたが今は積極的に反対していない、という感触を持っています。日本政府
 の対応も少しずつ変わってきたようです。国際機関の幹部やいくつかの政府も、災害の起こった時の救援、防災については IAEAなどの原子力の専門家がするものではなく救援の専門家が
 するものだという考えを持っていました。どうにかその方向へ、少しは変わってくるような気がします。JCC2015も仙台に向け、原子力災害の国際防災戦略の対象化、そして防災全体の
 主流化に取り組んでいきます。
 
  世界の工場とも呼ばれる中国では、現在運転中の原発19基に加え、29基を建設中で、さらに200基以上を計画中です。世界的に見て、今後の原発建設は、今の途上国で盛んに進みます。
 ですから、こうした国々で、地震や洪水などの自然災害や人的ミスが原因になって 次の原発災害が起こる可能性は少なくありません。つまり、これからの原発災害は北ではなくて、
 南で起こる可能性が高いだろうということです。そのときどんなことが起きるかといえば、貧しい人たちは目には何の見えない、しかし高度に汚染されたところに住みつづけるであろうし、
 その結果は5年10年後に出てくるのだろうということです。福島原発も同様ですが、ガンジス川がもし汚染されたら、そこから世界中が汚染されていくわけです。
 
  3.11 が起きるまで、私たちは原発災害は起きないという神話の中に生きていました。これは政府や製造者責任の問題ですが、原発は事故を起こす可能性があるのだ、避難計画を作らな
 ければ大災害になるのだということを、事前に人々に知らすべきです。そのうえで、原発を採用するか否かということを決めるべきなのです。そういうふうに日本も世界の各国もなって
 いかねばなりません。
 
  私たちは、災害を含めたポスト2015のグローバルな枠組みに関心を高め、そのなかで災害を主流化しなければならないと考えています。さまざまな団体と協力していかなくてはならないし、
 福島の経験を世界の人々とシェアしていかなくてはなりません。バンコクの会議でインドの原発関係者などは、「ではどうしたらいいのか」と具体的に聞いてくるので、福島のレッスンを
 わかりやすくまとめた本かパンフを作り、それをいろいろな言語で出していかねばなりません。さらに3月には東京で、16年にトルコで開催予定の世界人道サミットのための準備会合が
 開かれ、私は複合災害というようなものを積極的に取り扱う必要があるという発言しました。多くの方が福島は既に終わったと思っていたので、よい機会であったと思っています。


B 「原発震災後の復興とこれからの社会」 田村太郎(ダイバーシティ研究所代表)

  19年前の阪神・淡路大震災で被災した外国人への支援活動をしていました。当時は、JANICからも支援をいただいていました。一方で、神戸復興塾という神戸の復興に関するネットワーク
 の事務局長などを担っていました。そうした経緯を知っていた元内閣府参与の湯浅氏から、東日本大震災直後にお声かけがありまして、内閣官房にできた「震災ボランティア連携室」の
 企画官になりました。その後、復興庁に残り、現在は「復興推進参与」と いう肩書も持つことになりました。
 
  ダイバーシティ研究所では、人の多様性をテーマにした活動をしています。東日本大震災の直後には他の団体とともに「被災地とNPOをつないで支える合同プロジェクト」を立ち上げ、
 宮城県内の避難所の巡回をしながら、多様なニーズを持った人の支援活動を展開し、仮設住宅へ移行してからはコミュニティの形成に関するサポートを行っています。仮設住宅での
 コミュニティ形成は非常に重要です。日常の生活の中でも被災地でも、高齢者や女性、子どもの支援に目がいきがちですが、仮設住宅で最も孤立するのは男性です。孤独死のリスクが高い
 50代60代の男性は、仮設住宅で開かれるお茶会にはなかなか参加してもらえません。ベンチをつくる大工仕事の催しをしてみるなど、中高年の男性も参加できるプログラムを提供しました。
 また、南相馬では企業の支援を元に2012年10月に公園への遊具整備をしました。これについては様々な議論がありましたが、インドアパークでは思い切り身体を動かせない、外で遊びたい
 というニーズもあったので、除染が進められ線量が下がり、モニタリングポストもある公園に、子どもも高齢者も遊べる公園づくりを支援しました。ひとりひとりを大切にした復興が、
 私たちのテーマです。

  今回は持続可能な社会を考えるというテーマのもと、いくつか話題を提供させてもらいたいと思います。
 
  まず、災害や復興がもたらす社会への影響や変化についてです。大規模災害は過去にいくつかありましたが、その災害の復旧や復興の過程は、その後の社会の在り方に大きな影響を
 与えています。例えば、阪神・淡路大震災ではボランティア団体やNPOが課題解決の場に参加することがあったり、企業が社会貢献をすることを後押ししたりしました。新潟中越地震では、
 行政とNPOが協働する体制が整えられり、若者が外部からきて地域づくりに参画しその後も継続した、ということがありました。今回の東日本大震災では原発事故のこともあり、過去の
 経験があまり活かされないのではと言われることが多いですが、違いを持ち出すのではなく、共通点を見出して学んでいくことが重要ではないでしょうか。阪神・淡路大震災の仮設住宅の
 供給数は約5万戸で、今回の東日本大震災とほぼ同じです。中心市街地の復興に関しては、阪神淡路大震災から学ぶところが多く、地域構造や産業の構造からは新潟中越地震から学ぶこと
 が多いと思います。しかし、何れからも学べない新たな課題もあります。それは「お金がない」ということ「人がいない」ということです。これは過疎の東北であるからとか原発事故が
 あったからとかではなく、日本の社会構造が変わってしまったからなのです。人口構成や経済状況が阪神・淡路大震災の頃と今とでは大きく異なります。   
 この点は最後にも触れますが、研究者がもう少し冷静に見ていくべきだと思います。
 
  関東大震災は、「デマに気を付けましょう」という警視庁のちらしがありました。私は阪神・淡路大震災で外国人支援を行っていたため、外国人が災害時に直面する困難について大きな
 関心がありました。関東大震災を機に、ラジオ放送が本格的に普及しました。阪神・淡路大震災ではインターネットや携帯電話が普及、拡大しました。メディアの在り方や発信の方法にも
 大きな影響を与えたと思います。東日本大震災では、行政や企業やNPOが垣根を超えて協力したということもありますし、SNSによる情報発信もありました。メディアの在り方や使い方に
 新たな可能性を見出せるのではないかと感じます。一方で、原発事故がもたらした今までの社会に対する絶大なる不信感の広がり、これは過去の災害においてあまり見られなかった傾向
 だと思います。この不信感が社会の変化をさらに加速させるかもしれない。
  
  厳しい現実の中からも、何かをつかんで立ち上がらなければなりません。今回の復興と原発事故がもたらした
 社会の変化を、あえてポジティブに考えるとするならば、エネルギーへの関心の高まりが上げられると思います。今までの災害における復興プロセスで、これほどエネルギーのことが
 取り上げられたことはありません。今回はどこの復興計画にもエネルギーの話題が出てきます。エネルギーのことを考えていくと、東京にエネルギーをどうやって供給するかということに
 いきつきます。東日本大震災や原発事故を、東京と東北との関係を、一方的に収奪する・されるから双方向性のある関係へ転換するきっかけにつなげていかなければならない。その象徴的な
 存在がエネルギーであり、せめて新しい、何かをプラスに転じていく空気感の醸成が必要だと考えます。
 
  最後に、私が震災復興の上で最も重要だと考えるのは人口の問題です。日本の総人口は阪神・淡路大震災の時とほとんど変化していませんが、若者の人口はたった15年で約3分の1に
 なっています。一方で、75歳以上の人口は約2倍となっていて、これが復興のスピードを遅くさせている一番の原因ではないかと私は思っています。復興の工事を発注しても、労働力不足で
 請け負ってくれる企業がないのです。人口が減るだけでなく、社会全体に余裕がなくなってきています。非正規労働は6割も増えていて、地方公務員の数は15%減りました。社会全体として
 対応力は収縮している状態にもかかわらず、課題は大きくなってきているのです。持続可能な社会というと温暖化防止やエネルギーのことばかりが注目されますが、人口問題は今後の
 日本の持続可能性を考えていく上でもっとも重い課題となっていくのではないでしょうか。
 
  石巻では子どもや子育て世代が震災前と比べそれぞれ約1,000人ずつ減りましたが、高齢者数はすでに震災前より増えています。水産加工場が復興予算で再建できても、従業員が集まら
 ないという状況も報告されています。なぜなら、パートの従業員のほとんどが子育て世代の女性だったからです。この世代が戻ってこなければ、今後の産業復興はままならないのですが、
 子育て世代への支援は高齢者への支援よりも後回しになっています。これは被災地だけの問題ではありません。地域の持続可能性を人口変動への視点からきちんと考えてこなかった、
 日本全体の問題でもあります。 
 
  明治維新は政府主導、戦後復興は企業が引っぱってきました。東日本大震災からの新しい社会づくりは、市民主導でやっていかなければなりません。しかし現状は、市民は自らを社会の
 主要な担い手として捕らえることなく、課題解決の主体は政府や企業にあると考え、相手への批判を散発的に繰り返しているだけのように見えます。私は政府・企業・NGO/NPOの枠を越え、
 ともに課題解決に責任をわかちあうラウンドテーブルの形成が必要ではないかと考えます。行政とNPO、NPOと企業というように1対1でやっていくのではなく、地域でそれぞれのステイク
 ホルダーがきちんと責任を分かち合うような関係性を作っていくべきではないかと思います。 

  研究者は客観性を求められる立場ですが、その立ち位置にいたらいつまでも責任は分かち
 合えないので、この際一緒に責任を分かち合うテーブルに集い、これからの社会の改革に主体的に参画してほしい。そうでなければ、今後の日本の地域社会の復興に限らず、社会の持続
 可能性は存在しえないのではないかと考えます。マルチステイクホルダーで課題解決を図っていくようなラウンドテーブルを、各地に作っていくことが重要ではないかと思います。


<総括コメント・質疑応答> 司会:黒田

  私のほうからパネリストの皆様にご質問し、お答えいただいた後に、会場の皆様から質問をいただきたいと思います。最後に、締めとして総括コメントを重田さん、丹波さんの順で
 お願いしたいと思います。
 
  パネリストのみなさんに、少し抽象度の高い質問をしたいと思います。今日は、持続可能な世界や原発がない社会などについて、さまざまな意見や問題提起がありましたが、一人ひとりが、
 現状を踏まえてどのような社会を構築していけるのかということについて、ご意見をいただきたいと思います。それと併せて、研究者としてどうあるべきか、研究者にはどういう役割が
 あるのかについてもご意見をいただけませんか。原発事故以降、多くの研究者や科学者が福島へ入って聞き取りや住民調査をしていますが、中にはそのまま立ち去ってどこかの学会で
 報告して終わるといった話も漏れ聞きます。つまり、研究者の姿勢や役割が問われているのだと思います。今日も、研究者には当事者性がない等という意見がありました。 
 研究者の役割についても触れていただきたいと思います。


 古沢  
     大変大きなテーマで答えにくいのですが、研究レベルでは既にたくさん語られています。 
    経済発展だけでなく、環境にも配慮しているかを問うべきです。また、社会的な公正さに配慮しているかにも配慮が必要です。ただ、中身ができているかというと大変難しく、
    大きな目標は語っているが実際の中身を掘り下げていくと大変厳しいのです。環境問題に関しては比較的対応する動きがあるのですが、社会的な公正さや発展の質的側面については
    議論はあるものの、どこを目指すかについては明確でありません。経済発展については少しできているものの質的側面や豊かさの評価について、持続可能な世界についての中身は
    これからという状況です。
    
      研究者の在り方に関しては、現実には研究者はサラリーマン化しており、あたえられ得られたテーマの中でどれだけ成果をあげるかになっている印象です。私も研究者になって
    いますが、NGOの活動もしており、つまり2足のわらじを履いた立場です。社会的な意味を考えつつ、あたえられた枠の中にいて、枠を超えられないのが現実です。私自身は、大学
    紛争の渦中にいて、公害問題を目のあたりにしてきました。研究者としてだけでなく、社会的な問題への問いかけをも軸足にしています。


 大橋  先日、ODA大綱を見直す有識者会議でサステナビリティとは何かということが話題になりました。私たちの理解ではサステナビリティとは、開発において世代内に加えて世代間の
    平等を実現するべきだということになります。ところが有識者会議の有識者たちは、「持続可能な成長」としか言いません。広く言われる「持続可能な開発」ではなく「持続可能な
    成長」ではおかしいのではないかと私は指摘しました。それに類するような、つまりその言葉自身は美しいのですが、現実にはその言葉を使って別な概念に移っていくという難しさを
    しばしば強く感じています。 
    バングラディッシュでは電気が通れば生産性があがって経済発展するでしょうが、さらに、電気が不足して、人々は原発を求めるようになるかもしれない。また道路ができれば、
    いいこともあるが悪いことも起ってきます。つまり、経済成長に伴って必ず矛盾が生じるのです。 現場で見ていると、このように行ったり来たりの問題があります。美しく唱え
    られていることと現実の差に対して日々ムカムカしていますが、それが現場に向き合うものの宿命だと思っています。
    
     なぜなら、「原発を作ってはいけない」ということを、私たちは途上国の人々には直接には言えないからです。ただ、原発を作ればこういうことが起きるということは言わねば
    なりません。しかし、これを伝えるにはとても時間も手間暇もかかります。一方、政府のプロパガンダは、原発はとてもいいものだと信じさせるもので、現実には事故もなくたくさん
    存在しています。こうした現実にどう対応するかは大変難しいのですが、私たちがきちんと私たちの体験や現実を伝えていかねばならないと感じています。


 田村  災害はいつも、より弱い立場の人により多くの困難をもたらします。それは、弱い立場の人に問題があるのではなく、社会との関係性が脆弱であるということが問題です。
    その脆弱性の背景は何か、ということについて研究しなければなりません。どんな災害が起きても、困難に直面する人々をできるだけ少なくするというのが災害対応の本質です。
    脆弱性の背景を研究していくというが大切です。しかし、課題の現状を指摘する一方で、その対極にある未来のビジョンの提示も必要です。この2つを、きちんとした裏づけとなる
    データに基づいて示していくことが研究者にとって重要なことだと思います。
    
     政府が政策を決めるには、データによる裏づけが必要です。政策を決めるということは対象者を決めるということです。対象者は何人で、一人あたりいくらかかるのか、ということが
    予算となり政策となります。これが明らかにならなければ政策になりません。どこかで線をひかなければならないのです。阪神・淡路大震災当時、賃貸住宅の契約には20年の期限が
    あったため、復興住宅の家賃補助は20年で切れることになっています。来年その20年の年限がきます。どこまでを支援し、どこから補助金を打ち切るのかを議論した結果、85歳以上の
    方を支援の対象にした。すると、84歳10ヶ月の人は、なぜ対象にならないのかと抗議します。政策にするには必ずどこかで線を引かねばならならず、対象から外れた人にも納得感の
    あるデータの提供をしなければなりません。それが出来たところから政策になります。いかに多くの人がカバーされ、社会とのつながりが脆弱な人が出ないような線引きをするのかが、
    研究者の腕の見せどころだと思います。


 重田  研究者の役割、学会の役割についてお話します。政府に対し提言をするなど最前線に立っていくタイプの学者もいるし、客観的なデータを分析し問題点を明らかにしていくタイプの
    学者もいるし、過去の経験やデータの蓄積に基づいて研究するタイプの学者もいます。それぞれの役割があると思いますので、学者はそれぞれがその役割を果たしていくべきだと
    思います。私の場合は、周辺化された人々、脆弱な立場にある人、原発災害にあった人々等、その人々の立場に立ち共通の問題として彼らの問題に関わっていきたいというのははっきり
    しています。
  
     学者は危機のときに出てきて活動し、またいなくなります。学者、研究者がリスク社会の中でどのように活動するべきかについては、リアリティに沿った面と理想を追う面
    との両方の面が必要ではないかと思います。


 丹波  どういう社会を構築していくのかに対し、研究者の役割を考えてみました。考えてみますと研究者は言いっぱなしが多いように感じます。今日の発表者は活動もしていますが。単に
    言いっぱなしで終わりではなく問題解決のしくみ作りを提案していかねばならないのかと思います。福島のような過酷な経験はもう真っ平だという思いがあるのなら、新しい社会として
    どう社会を構築していくのかを提示していかなければなりません。川内村の村長とテレビで対談した際、避難した先の都市部の生活に慣れてしまった住民が帰還したら、いろいろな
    課題が生じてきてしまうだろうと話しました。本来、事故によって便利な生活でよかったのかということが問われたのに、当の被災者自身がそれに慣れてその方が良いと思ってしまって
    います。その社会のありようをもう一度問いなおさなければならないのに、研究者からの提案は意外になく、みんなで考えようという空気にもならないのです。
    
     現在では、福島の問題をシェアするだけではだめです。確かに、最初のころは福島の現状を県外や海外にも理解してもらい、いろいろな立場の人の気持ちをシェアしてほしい気持ちが
    ありました。4年近くが経ち、日本の新しい社会や世界の国々に、我々の経験を伝え、 防災、避難計画などの対応に具体化していかねばならないと思います。研究者として、新しい世界に
    説得力をもって人々に共感しうる提示をしていかねばならないと考えています。
    
     復興庁では施策を実現するために、財務省を説得するためのデータを何でもいいからほしがっています。自分達がやっていきたいことに説得力をもたせなければならないのです。 
    研究者という立場でいえば、線引きによっていろいろな課題を抱えたところに、社会的な方策をするための具体的な提案、アドボカシーを作るべきでしょう。言いっぱなしや権利を主張
    するだけでなく、権利を主張することに説得力を持つことが大事だと思います。原子力災害を受けた人たちへのバッシングが始まっていると先ほど申し上げましたが、被災者が社会的
    幸福を実現するにはどうしたらよいかということを考えなければならないと思います。

 黒田  会場からのご質問はいかがでしょうか。 
 
 質問者 B
     田村さんへ。グランドテーブルの必要性を感じたが、政府の中で可能性はありますか。また、市民として何をしなければならないでしょうか。
     研究テーマには鮮度があり、わっと飛びついたら、言いっぱなしで去っていき、自分のばかり発表するということがありました。かっこいい報告をして終わる人と東北に残って地道に
    やる人といますが、声が大きい人のほうが出世していきます。丹波先生お願いします。


 田村  ラウンドテーブルの必要性は、震災直後は見向きされませんでしたが、やっと、やらざるをえない、やったほうがいいだろうに変わってきつつあります。ラウンドテーブルを設定する
    ときは、大きな課題では議論ができにくくなってしまうので、小さな規模、小さなテーマでやることが必要でしょう。今までは、そういうことをやると時間がかかるというのが行政の
    言い分でしたが、今回の復興プロセスをみていると、丁寧にやらなかったから、今になって時間がかかっている。地域の一部の人とだけで合意形成した方が、早く前に進めると勘違い
    していたのです。今は、それが瓦解して進まなくなっています。これからの復興はマルチステイクホルダーでラウンドテーブルをやるしかないな、というところにきていると思います。


 丹波  いっぱい原発についての本が出版されました。地域の中で、復興計画についてコンサルタントを入れてもうまくいかず、結局首長が孤立し決断しなければならないという苦しい状況が
    あります。私は被災地にいるからこそ、自治体や首長の政策判断に寄り添っています。 
    政策判断をする際の選択肢を示し、自治体の政策の中に取り込めるかについて研究者が示せればと思います。なおかつ、自治体と住民の向き合い方が難しいときにはその間に入り、 
    緩衝材の役割を研究者がするのです。お互いの立場についてどこを見るのかを一緒に考えて生きたいと思います。そういう意味で、本をあまり読まなくてもいいかもしれません。
    具体的な地域の中にいることが大事だと思います。


 質問者 B
     補足でお願いします。新潟大学農学部野中先生は、まさに地域の中に入って、農家と一緒に地道にやっていらっしゃいます。その方は、地域の人たちにとても尊敬されています。 
    そこに外部の研究者や NPOが入り、次の社会をどうしていくのかを考えながらやっています。実際にすでに、地域の力に光があるのではないでしょうか。福島を世の光にというのは、
    そういうことなのだろうと思いました。


 古沢  今回の問題は、暗い面と良い面の両方があり、問題を多角的にとらえる視点について、みなさんと共有したいと思いました。最大の問題点として今回の事故をより悪く利用していく
    ということがあります。カナダのジャーナリストでナオミ・クラインという方が『ショックドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く』という本を書いていますが、災害に便乗
    すること、津波が起きてスラムが一掃されたところをリゾート開発する等がスマトラ沖地震津波災害後などに起こっています。今回の東日本大震災の復興事業でも、巨大堤防工事が
    先行するなど住民は土建の力の中で翻弄され、そして悲惨な状況下の中で経済的な矛盾も抱えていきます。
    
     一方、多少明るい面に目を向けると、自分たちの原点を見出そうとして葛藤し、努力している住民の方々がいます。自分達はどんな存在なのかについて、地域のつながりや伝承に
    思いを起こして、忘れかけていた地域芸能や祭りの中に地域の力や絆を見出そうとしています。地域の再建に多方面からの協力の輪がつながって、復興の可能性という光の部分も
    出てきています。これは、世界の貧困の問題や開発の問題を考えるときに同じく出てくる共通した問題や状況だと思います。


 重田  福島乳幼児妊産婦支援プロジェクトでは、普段から教員やスタッフが避難者に向き合っています。そこにまだ困難があるのに、持続可能な世界をどうしていくかというのはその人たちの
    前では言えません。まだ困難な人がいるのに、日本や世界は先に進んでいってしまっているという社会の矛盾やリスクにどのように向き合っていくのか、とつくづく感じました。
    今後、縮小社会の中で日本の在り方を考えなければなりません。アメリカも同じように、日本も実際には縮小社会だと認識しなければならないのですが、今の自民党政権の方向は
    経済成長の神話に向いているのではと危惧しています。
    
     公共圏の創出については、周辺化された人間が共存・共生できる場をどう作っていくかということです。日本の明治時代の足尾銅山鉱毒事件に向き合って行動した田中正造のように、
    日本の開発の原点に戻って、鉱毒事件によって周辺化された人に寄り添った田中正造の研究から学ぶということもできます。田中正造は、共存・共生できる場を作ったのではないかと
    改めて思います。
    
     この3月カンボジアのプノンペン大学に行って、NGO Experiences という講義を行ってきましたが、カンボジアにおいてもポルポト政権下の大虐殺のことが風化しているといわれて
    いますが、カンボジアの大虐殺も福島の原発震災問等、歴史的な大参事は決して決して忘れてはいけないことです。研究者が海外に行って現実を伝える、現実を語っていくことが必要
    だと思いました。3.11以後難しさの中にある日本の現状や社会のあり方を考えるべきだと思います。


<閉会の辞>  佐藤博(国際開発学会会長)
  ありがとうございました。重田さんは震災以降ずっとこの研究を続けてきていらっしゃり、学会としてもサポートしています。こういう場を積み重ねていくことが大事だと思いますし、
 積み重ねの中でいろんな人を巻き込んでいくことが大事だと思います。引き続きやっていきましょう。この問題は、途上国のことも考えパラレルな問題として一緒に考えていくこと必要だと
 思います。今日はありがとうございました。


 黒田 これをもちまして本日のシンポジウムを終わりにいたします。ありがとうございました。


⇒PDF版記録:震災から4年目を迎えて「まだ続く福島原発震災の困難と目指すべき社会のあり方を考える」




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